YUKIE.Y(K)の「北欧紀行」
vol.1 03.11.01
〜ホームページ作成者からの紹介〜
YUKIEさんは、初任校で授業を担当した卒業生。先日懐かしいメールをもらい、北欧旅行の予定を
教えてもらったので、「是非、デジカメの写真や紀行文を寄せて」とお願いのメールを返事したところ、
快く引き受けてくれました。新婚旅行なのに…ありがとう。
「北欧紀行」と題して、このホームページの新コーナーとして公開できる喜び! そして、次のように
考えてくれる教え子のいる嬉しさ! 「先生の世界史授業は加賀山中の中でテレビの伝える歴史や
世界しか知らなかった私にとって、とても楽しく、ためになる授業でした。悪いイメージの強い中近東が
いかに優れた文化をたくさん生み出した世界であったか・・とか。(以上、メールからの抜粋)」。
社会人になった君達が、この我々一人ひとりがメンバーである社会や世界のことを、「愛おしさ」の
気持ちをもって考えてくれること。それこそが、この世の中を少しでもマトモにしていくことにつながると
信じています。たとえば、人を好きになると、その人の生まれて歩んできた「歴史」も愛おしく思うように
なるのと同じで、世界史も、この世界とその「来し方」に対する愛情で成り立つもの。そして、そこからこ
の世界の「行き方」や、自分の「生き方」が見えてくれば…。なーんて、ロマンチック過ぎるかな?
とにかく、彼女の紀行文と写真を通して想像力の翼を拡げ、北欧に飛びましょう。
北欧の旅
(1)森と湖の国フィンランド
7月27日、午前11時45分の成田発コペンハーゲン行きのスカンジナヴィア航空でいざ北ヨー
ロッパの地へ!
スカンジナヴィア航空はスカンジナヴィア三カ国のデンマーク、スウェーデン、ノルウェー
の航空会社で、世界で初めて北極回りの航路を開いた会社らしい。スカンジナヴィア半島とい
うと、「あれ?フィンランドは?」と思うけど、「スカンジナヴィア」というのは歴史的、民
族的につながりの深い三カ国を指し、フィンランドは地理的にスカンジナヴィアにあるけれど、
民族的に違う(フィンランドはアジア系)等の理由から北ヨーロッパ全体を表す「ノルディッ
ク」(他にアイスランド)には含まれてもスカンジナヴィアではないのだとか。だから、フィ
ンランドはフィンランド航空というのがある。なんかそう考えるとスカンジナヴィア三カ国っ
て現代にも「カルマル同盟(向出注:1397年、デンマーク女王マルグレーテにより三国が
彼女を共通の君主として連合するとしたもので、デンマーク王家が世襲したためデンマーク連
合王国とも呼ばれた。EU=ヨーロッパ連合に吸収されることを拒否し続ける誇り高きデンマ
ークの一つのルーツ。1523年にスウェーデンが分離独立したために解消。以前、どこかの私大
入試問題で、このカルマルという都市はスウェーデンの町であるという細かな知識を問うも
のがあった)」の名残を残しているように思えるけど、一国でそれなりの航空会社を持つフィ
ンランドのほうがなんか偉い?んじゃないかって気もしないではないです(笑)
飛行機の中では個別スクリーンがあったのでいろいろ映画を見たり、音楽を聴いたりした。
映画はいろいろあったが、ちゃんと見たのは「めぐりあう時間たち」(向出注:英国の作家、
ヴァージニア=ウルフとその作品『ダロウェイ夫人』をめぐる、三つの時代をそれぞれ生き
る三人の女性のドラマ。僕はかなり好きです)とディズニー短編集とSASからのお知らせ。
「めぐりあう時間たち」は見たかったからちょうどよかった。音楽はアメリカンオールディー
ズ、ジャズ、スカンジナヴィア、コメディーチャンネルを聴いた。コメディーの曲の中には
イギリスのコメディーグループ・モンティパイソンの「フィンランドソング」という曲があ
った。内容は「フィ〜ンラ〜ンドフィンランフィンラ〜ン、フィンランドはロシアに近くて
日本から遠い」というなにがおもしろいのかよくわからない歌詞の曲でした。スカンジナヴ
ィアは名前の通り「スカンジナヴィアのヒット曲集」。私がこの地域に興味を持ったのもス
ウェーデンのポップス・ロックからです。スウェーデンとかは最近、数年前東京のミニシア
ターでヒットした映画「ロッタちゃん」シリーズ(向出注:あのポスターのイラストが秀逸!)
や「ショー・ミー・ラブ」、家具などのデザインのおかげでちょっとした注目を集めているし、
北欧オーロラ旅行はブームでこの3年間で3万人近くがフィンランドや他の国の北の地域へ日
本から出かけているのだとか。私もそれらのおかげでかすかな憧れから、「行きたい」という
熱意に変わりました。しかしあまり冬には行きたくなかった。
機内食はおいしくて温かいパンのおかわりもあったからすごく食べ過ぎました。到着前に
北欧といえば、のスモークサーモンが出たときもついついおなかは空いてないのにパンをお
かわりしたし・・。そういえばちょくちょくフライトアテンダントが飲み物を持ってきてく
れたのだけど、「オチャオチャ」と来たので、「お茶」と言ったら、「オーオチャ」とくれ
たのは「水」だった・・・。
約10時間後に到着。入国はえらい簡単で、しかも管理官に「コニチワ!アリガット!」と
言われました。コペンハーゲン空港は改装中だったけどなんだか床は木でフラット、照明もま
るで有名ブランドの店内みたいだし、あちこちに日本では高価なスカンジナヴィアンデザイン
の家具はあるしですごくきれいでした。免税店はなんだかデパートみたいで、お約束の「酒・
化粧品・菓子・タバコ」のみならず、グッチにエルメスにバーバリー・・・・、そして地元の
ロイヤルコペンハーゲン、ジョージ・ジェンセン・・。「地球の歩き方」に「コペンハーゲン
は買い物天国」というようなことが書いてあったけど、なんだかいきなり悪い誘惑!でもこん
なとこでいきなり散財できないし、デンマーククローネもユーロもない!(円建てトラベラー
ズチェックはあった)2時間後のヘルシンキの便までとりあえず見るだけに。池袋西武や横浜
そごうでおなじみのデンマークのデパート「イルムス」も出店していて、品揃えはたぶん大体
同じ。でも「グッチ」にもロイヤルコペンハーゲンにもアジア人店員がいて、グッチは明らか
に日本人。これって日本人対策?でも興味深かったのはそれよりもやたらゴルフ場のカートみ
たいなのが走ってるな〜と思ったらどうやら老人と子供を見たら乗せてあげるカートみたいで、
老人も子供もうれしそうに乗っていた(向出注:これは「福祉大国」らしさかも)。日本には
こういうのない気がする。人が多すぎるから無理なのかな・・。ちょっと乗ってみたい気もし
ました。
そんなこんなでヘルシンキへの搭乗。搭乗ゲートでチケットをいかにも「北欧美人!」なブ
ロンド&青い瞳のかわいい女の子がちぎってくれた(機械はあったが)ので同行者(夫)が
「かわいい〜」と言っていたら、なんとその女の子は機内にやってきた。彼女はフライトアテ
ンダントだったのです。日本ではまずないことですよね。離陸するとまたまた機内食。(もち
ろん空腹ではない)しかしそれがスモークサーモンだったのでちょっと参った。もう夕食はい
らない、とも思った。約1時間半で到着。着陸の際に耳がキーンとして痛くて苦しんでいたら、
隣の女の子に”Are you from Japan?”と話しかけられました。彼女は東京で働いているフィンラ
ンド人で、いろいろ話していたら耳の痛みは引いた。彼女はトゥルクという市の近くの故郷へ
里帰りする、と言っていた。いろいろ東京について話し、少し緊張がほぐれました。
ヘルシンキ・ヴァンター空港は午後8時過ぎだからか免税店はもう閉まっていた。ムーミン
グッズがガラス越しに見えました。すごく閑散としてました。夜だから?でも日没は9時半ぐ
らいだから明るくて変な感じ。円をユーロに換え、ヘルシンキカードを購入。これを買うと博
物館やバスとかにタダで入れる。空港からヘルシンキの中心部へバスで向かうべく、バスター
ミナルへ。空港は外からみるとなんだか小松空港のようだけど、いくらなんでも小松とくらべ
ては悪いかな~と思う。バスが着たが、乗客は3人!すこし心配になった。10分ほどで街中へ
入る。すごく清潔な町並みで多少落書きがあるけどホント清潔でキレイな建物ばかり・・・。
いいとこに来たなあと同行者と語り合いました。ホテルはヘルシンキ中央駅(写真@)のすぐ
近く、しかし周りは閑散としている。いかにも地元の不良という感じのがたむろしてるが、外
が明るいせいかあまり怖くない(笑)
写真No.@ヘルシンキ中央駅 9月発売の雑誌「エルデコ」(フィンランド特集)によると20世紀の重要なデザインの一つ
7月28日
朝早く、トラム(路面電車)に乗り、マーケット広場という港沿いの市場の近くからフェリ
ーに乗り、スオメンリンナ要塞(ユネスコ世界遺産)へ(写真AB)。この島はフィンランド
を統治していたスウェーデンがロシアへの守りのために作った要塞が残されている。皮肉にも
スウェーデンがロシアに敗れ、フィンランドの統治国がロシアに移った(向出注:これは1815
年のウィーン議定書での取り決め)後は対スウェーデンへの要塞になった、とのこと。現在は
子供のいる家庭から応募を募って、当たった家庭の人々が住んでいたり、オシャレなレストラン
やカフェもあり、もちろんかつての要塞の遺構や博物館もあるけど、自然が豊富でそのなかに
それらすべてがあり、のどかで美しい島でした。私は確認しなかったが、日本製の大砲もある
らしい。
写真No.Aスオメンリンナ要塞 その1
写真No.Bスオメンリンナ要塞 その2
午前中を島での散歩で過ごしたあと、ヘルシンキの街へ戻り、マーケット広場で日本語で客
引きをしていたお姉さんの屋台で昼食を取った。しかし、食事はともかく炭酸入りのミネラル
ウォーターに閉口。そしてロシア人が建てたロシア正教教会のウスペンスキー教会(写真CD)
へ。旅行前に東京都美術館で「ロマノフ王朝の至宝」展を見たのだけど、そこで見たような豪
華なイコンや祭事用の道具がありました。だからその後に見たヘルシンキ大聖堂(写真E)は
中がルーテル派(向出注:ルーテルはドイツの宗教改革者ルターのロシア語読み? 英語読
みはあの米国の人種差別撤廃運動指導者で知られるマーティン=ルーサー=キング牧師
で有名な、ルーサー)なため地味でちょっと拍子抜けしました。そこから歩いて目抜き通りや
公園を抜け、アート&デザイン博物館へ。今、フィンランドといやインテリアデザインでしょ!
(「2001年宇宙の旅」<向出注:スタンリー=キューブリック監督の「金字塔」的な映画作品
>の最初のほうで人々の座っている丸いイスはフィンランド人デザイナーの作品の代表例)て
なわけで意気揚々と中へ。一階はどうも企画展だったらしく、おそらく若いデザイナーの作品
が展示されていたのだけど、なんだか日本の和風建築の室内装飾を思わせるような家具があり、
興味深かった。二階は歴史資料。地下一階はノキアの電化製品やイイッタラ社などの食器など
の産業デザインの歴史資料があり、おもしろかった。博物館を出た後、街中を散策しつつ中央
駅近くの郵便博物館へ向かいました。ヘルシンキは街中に緑がホント多い!そして美しい町並
み。街は正直小さくてたぶん金沢かそれぐらいの規模かなあという印象でしたが目抜き通りに
は鼓笛隊やらいろんな大道芸人がいて人もたくさんいて、賑わっていました(写真F)。郵便
博物館で一応フィンランドにおける郵便の歴史を見る。正直解説が公用語のフィンランド語と
スウェーデン語だけなのでよくわからなかったけど、第二次世界大戦時の対ソ連戦争(向出注
:いわゆるソ連−フィンランド戦争では1939年11月〜40年3月、フィンランドがソ連から要
求された領土の交換を拒否して開戦。英・仏・独がフィンランドを支援したが、ソ連が勝利。
そして41年に独ソ戦が始まると、フィンランドは独側に立って参戦。つまり、フィンラン
ドはソ連への対抗上、日本と同じく同盟国側で戦い、敗戦国の一つになったのだ!)中の郵便
事情は悲惨であり、亡くなった郵便職員の名が刻まれた石碑があり、それらからはなんとなく
当時の悲惨さと苦労がしのばれた。そのあと目当ての「ムーミン切手」を土産に購入。そこで
レジのおじさんに「コニチワ!アリガト!」と言われた。ついでにムーミンキシリトールガム
にムーミン便箋に・・と土産を追加購入。公用語にスウェーデン語があると書いたけど、地球
の歩き方によるとムーミン作者のトーベ=ヤンソン女史は少数派のスウェーデン語社会の出身
でムーミンの原語版というのもスウェーデン語のものらしい。なんでも少数派として育った影
響が作品にも現れているのだとか。
写真No.Cウスペンスキー教会 その1
写真No.Dウスペンスキー教会 その2
写真No.Eスオメンリンナからのフェリーから写したヘルシンキ大聖堂
写真No.Fヘルシンキの目抜き通り
博物館を出た後ホテルに戻りストックホルム行きのフェリー乗り場へと、トランクを引きず
りトラムに乗って向かう。フェリー「シリアライン」はいわゆる豪華フェリーで日本語アナウ
ンスあり、ムーミンの着ぐるみの歓待あり、免税店街に娯楽施設にとすごいけどごみごみして
いて、ちょっと落ち着けませんでした。船室も壁が薄くて、廊下や隣室の音が丸聞こえだった。
まあバルト海の無数の群島を巨大なフェリーが通り抜けていくのはなんとも爽快でしたが。デ
ッキだけは和めました。しかし、ガイドブックに書いてあったけど、スウェーデン人の酒類の
まとめ買いはすごい!酒税が高いので隣国に買いだめツアーへ行くらしい。まあ、朝着いて、
下船のときは大量の酒とともに降りていくので、さすがに驚いた。私たちはムーミンあめと炭
酸入りではない水を買いだめしたけどね。