リスボン初日。
市内の観光はまだだけど、まずは最西端の地ロカ岬へ。
ここは絶対行きたかったのです。
ロカ岬へはカスカイス経由とシントラ経由があるのだけど、
私達はリスボン→カスカイス→ロカ岬→シントラ→リスボンというルートにしてみたよ。
まずはカスカイス駅行きの電車の切符を買わなくちゃいけないので窓口に行ったら、
おばあちゃんがいつまで経っても係員と話してる。
言葉は分からないけど、ど〜も世間話っぽい。
後ろに沢山待ってる人いるのに係員もおばあちゃんも全く急ぐ様子はなく、
まぁとにかくポルトガル人ってノンキだなぁ〜と思ったよ。
おかげで電車も一本乗り過ごし、後で気が付いたけどホームに自販機もあった・・・。
そんなこんなでカスカイスへ。
カスカイスはちょっとしたリゾート地らしいです。
でも今日は通過のみ。と思っていたらロカ岬行きのバスターミナルが見つからず、
また一本乗り過ごす。
ロカ岬って多分観光客沢山行くはずなのに、なんとバスは一時間半に一本くらいしかないんだよ!
しかも普通の路線バスだし。
もっと増便したり、特別バスとか作ったら地元も潤うだろうに、マイペースな?ポルトガル人にとっては、
どうやらそんな事はどうでも良いらしい。
予定より大幅遅れで最西端ロカ岬到着!
写真@「ロカ岬」 写真A「ロカ岬の塔」
真っ青な海。この先は何もないんだなぁ〜(アメリカがあるか)と思うと感動です。
インフォメーションで早速、最西端に来た証明書を書いてもらったよ。
受付のお姉さんが流暢に日本語を話したので、ちょっと驚いた・・・。日本人沢山来るんだなぁ。
断崖絶壁の様子は少し福井の東尋坊に似ていたけど、海は日本海の荒波と違って
真っ青でキラキラ輝いていたので、おどろおどろしさはなかったです。
写真B「ロカ岬の灯台」
またまた1時間半後に来るバスを待って、次はシントラへ。
シントラでは「ムーア人(注1)の城跡」に行ったよ。
駅から少しだけ歩くと、高い山のてっぺんに城跡が見えた。
バスでも行けるけど、とりあえず歩いてみる事にしました。
これが間違いだった・・・。
注1:ムーア人 Moors とは、ヨーロッパでの、マグリブ地方(アフリカ北西岸)に住む
イスラーム教徒に対する呼び名。もともとはベルベル人 Berbers を指し、
8世紀にはイベリア半島に進出したイスラーム勢力を意味するようにもなった。
写真C「ムーア人の城跡」
山道を通ったんだけど、まぁ少しくらいは舗装されてるかと思いきや、ゴツゴツした岩(石)の道で、
とにかく登るの大変でした。
もしかしてムーア人が造ったまんまの道が残ってるんじゃないかと思ったよ。
ムーア人ってこんな険しい道どうやって歩いてたんだろう??裸足じゃ痛いだろうし。足の裏頑丈だったのかな。
狩とかどこでやってたのかなぁ。電話もないし大事な連絡するのにわざわざ麓から登ってきてたのかなぁ。
と実際に岩山を歩きつつ、色んなくだらない疑問が浮かんできたよ。
結局1時間半ほどかかって、ようやく頂上に到着。
城壁がそのまま残っていたよ。途中歩いてる間も山の茂みに城壁が埋もれている所もあった。
城壁には通路があって、そこを歩くことが出来ました。
周りは森で、下を覗くと地面は見えないしちょっと怖い!
お城の主は城下町を眺めて「全部俺の土地だ〜」なんて満足してたのかなぁ。
それにしてもこんな高い所にあって険しい立地条件で、さすがに誰も攻めてこないだろうと思ったよ。
(実際アフォンソ・エンリケスに攻められたらしいけど。)
城壁も立派だし。どこからこんなに多くの石を集めてきたのか、とにかくムーア人に感心。
写真D「ムーア人の城跡A」
せっかくなので帰りも歩いてみました。
途中で時々ゲートみたいなのが残っていたけど、私の身長(150センチ)で結構ギリギリの高さだった。
ムーア人って結構小さかったのかな。
写真E「ムーア人の城跡の低いゲート」
シントラからの帰り道。
電車から見えた街並みは本当にのどかでした。
窓に干された洗濯物とか、なんだか日本の田舎を思い出したよ。
電車の中でパックリ大口開けて寝てる人多数発見。
こういう所も平和で良かったなぁ〜。
翌2日目。
今日はリスボン観光です。
リスボン市内は他のヨーロッパの国と違って、地下鉄があんまり発達してない。
路面電車とバスが結構走ってたよ。新しいのもあれば、いつの時代の?というくらい古い一両の路面電車もあったり。
まずは発見のモニュメントへ。
写真F「発見のモニュメント」
先頭がエンリケ航海王子。
その後誰が誰だか分からなかったけど、確かザビエル、コロンブス、ヴァスコ=ダ=ガマもいるはず?
意外と大きくて、迫力ありました。
発見のモニュメントから少し遠くにベレンの塔が見えたので歩いてみた。
一階は水牢だったらしいです。見た目は美しいけど・・・。
写真G「ベレンの塔」
少し歩いて有名なジェロニモス修道院秘伝のエッグタルトを食べに行きました。
沢山のお客さんが来ていたよ。
外側はパリっとして、中は卵タップリのカスタードクリーム。美味しかった・・・。
カステラの元祖はパォン・デ・ローというポルトガルのお菓子だって言われてるけど、
やっぱりお菓子は全体的に日本人好みの味だったよ。
写真H「ロッシオ駅」
写真I「ケーブルカー」
今回スペインとポルトガル初めて2カ国連続を旅することになったけど、そうする事でより一層、
言葉の起源が同じだという事を実感したよ。(似すぎてて切り替えが大変だった)
それにスペインの影響がアメリカの地名にあったり(「ロス」とか「サン」とか付いたりするのとか)、
アラビア語が英語(特に医学用語)に影響してたり(「ソル(太陽)」→「ソーラーシステム」とか)、
はたまた日本もお菓子や、「オブリガード」→「ありがとう」など言葉にもポルトガルの影響を受けていたりして、
世界って古い時代から繋がっているんだなぁ〜としみじみ思いました。