しのぶの「ドイツ便り」   
                                                vol.16 05.8.10 



 先生、ただいま。

無事アンダルシアとリスボン旅行から帰ってきました。

ちょっとメール遅くなってごめんなさい。

ブログ見てくれてるんですか〜。うれしいっ!

今先生は夏休み?
 

 ベルリン、フィレンツェもあるけど、とりあえず今回の旅行から送ります。

え〜っと、まずアンダルシアから。
 

 今回は珍しくツアーバスに乗りました。(日本の会社の)

そのガイドさんが本当に物知りで、先生ほどマニアック? ではないけれど、

なんだか先生の世界史の授業を受けているようだったよ。

歴史背景を知った上で建物や、街並みを見るのって本当に楽しいと思った。
 

 アンダルシア地方は本当にスペインらしい所でした。

スペインと聞いて思い起こすものは全てあったし。

白い壁の家、闘牛、生ハム、フラメンコ、ひまわり畑(枯れてたけど!)、どこまでも続く広大な土地・・・。

ただ建物や遺跡はアラブの妖艶な姿を残していて、でもそれがスペインらしく変化しつつ取り入れられていて。

なんだかとても不思議な感じだったよ。

スペイン人が外国人に対して寛大な所、あらゆる文化を自分達らしくアレンジして取り入れてしまう気質は、

ローマやアラブ、はたまたゲルマン民族にまで支配された歴史背景を考えてみると納得出来るような。

 
 初日はセビリアに着いただけで、バスツアーは2日目から。

まずはセビリアからコルトバ経由グラナダへ。
 

 コルトバではまずユダヤ人街を観光しました。

ユダヤ人街に一歩入ると、そこからは真っ白い世界。

建物が漆喰で塗られて、まさにガイドブックに載っていそうな街並み。

綺麗だな〜とノンキに見ていたけど、ガイドさんの話ではこの外観を維持していくのも相当大変らしい。

世界遺産に認定されちゃってるから、花の手入れも怠っていけないし、漆喰も定期的に塗り直しているとか・・・。

 写真@「花の小道」
 
 それにどうして壁が白いのか。それは昔ペストが流行した時に漆喰は殺菌効果があるから塗り始めたって。

暑いからだと思ってました・・・。考えてみれば病院も”白”だよねー。

しかもガイドさんの話で興味深かったのは、昔ユダヤ人はお金持ちでアラブの王様はお金を沢山借りてたんだって。

それで返せなくなったから、当時流行っていたペストの原因をユダヤ人に仕立て上げたって。

結局お金は返さなかったのかな。ところで、この話本当ですか?

街の中にはシナゴーグ(HP製作者注:ユダヤ教の礼拝堂)があったよ。

 写真A「ユダヤ人街シナゴーグ」
 
 ユダヤ人街のすぐ隣りがメスキータ(注:イスラーム教の礼拝堂モスクのこと)。

間にオレンジの中庭と呼ばれる、オレンジの木が沢山植えられている庭があります。

そこのオレンジ、すっごく不味いらしい。(ガイドさん体験談)
 
 写真B「メスキータ」

 メスキータ内部は薄暗くて、でもその中に幾重にも連なった円柱とアーチがず〜っと続いていた。

面白いのはこのモスク、200年に渡って3回も拡張工事されているので、最初に作られた所と、

最後に作られた所の柱の色や素材が明らかに違う。

それからアーチの寸法や高さは結構適当!私は造った民族の性格の問題だろう・・・と思ったけど、

ガイドさんは「人間のやる事ですから、多少の狂いはあります。」と言っていた。

それにしても円柱部分の石は山から運んで来たというので、相当大変だったでしょうね〜。
 
 写真C「メスキータ内部」

 メスキータ地下遺跡という名前をつけた写真は、モスクの中で一箇所地面に大きな穴が開いている場所があったんです。

そこを覗いてみたら、この遺跡が見えた。何でしょう?
 
 写真D「メスキータ地下遺跡」

 写真E「メスキータのアーチ」

 
コルトバ観光を終えて、バスはグラナダへ。

途中のアーモンド畑だったかオリーブ畑だったか、とにかくどこまで行っても続く広大な土地。

その中にある一本の道をバスは走り、こんな所で置き去りにされたら多分死ぬだろうな・・・とちょっと怖くなったりしつつ。

無事グラナダ到着。
 
 写真F「バスの車窓から見えたスペインの城」

 ホテルにプールがあったので、とりあえず水着に着替えてプールサイドへ行ってみました。

寝転んで空を見上げたら、18時過ぎだというのにまだ青い空。雲一つない、真っ青な空。

静かに時間が流れて、なんだか寿命が延びたような気がした。

スペインの夜は長くて、時間もとってもゆっくり流れている気がするよ。(特にアンダルシア地方は)

ボーっと昼間から日向ぼっこしているおじさんとか、昼間からバル(注:居酒屋 BAR バーのこと)で陽気に飲んでるおじさんとか・・・

そういえば、おじさんが特に暢気な地方だったなぁ。そんな感じでも回っていくスペインという国がすごい。
 

 夜はアンバイシン地区から
アルハンブラ宮殿を眺めに行く。

アンバイシン地区まで歩いたけど、坂が多くて辛かった・・・。

途中で力尽きてご飯食べたりしていたら、着いた頃には陽が暮れてました。

でもそれが逆に良かったかな。ライトアップされたアルハンブラ宮殿は魅力倍増って感じです。

 写真G「夜のアルハンブラ宮殿」
 
 
 スペイン3日目。
 
 いよいよ、先生が一番行きたいと言っていた
アルハンブラ宮殿に入ったよ。

じっくり見たかったけど、入場制限があって結構足早に見て周りました。

先生だったら一日かかっても外に出られないかも?
 
 写真H「アルハンブラ宮殿 王宮」

 とにかく一つ一つの装飾が細かくて素晴らしい。特に鍾乳石飾りが施された二姉妹の間は精密。

それから差し込む光を計算してか否か、明暗がくっきりしていて視覚的にも美しく、

水や花との調和も最高だった。

最後の王が城を明け渡す時に泣いたという話も本当だろうな〜と思う。
 
 写真I「アルハンブラ宮殿 二姉妹の間 天井」

 一つ意外だったのは、この
アルハンブラ宮殿、ちょっと忍者屋敷っぽいんです。

敵の侵入を防ぐ為に、偽りの2階(本当は存在しないのに窓がある)があったり、

無数のダミーの窓があって本当はどこから覗いているか分からなかったり。

更には入り口が二つあって、左の入り口からは中に入れるけど、右からは出口に通じていたり。

怪しい人は右の入り口(出口?)に案内されるらしい。

明るい外から中に入ってしばらく目が慣れるまで時間がかかるのも、目くらまし戦法?みたいなものらしい。
 
  写真J「アルハンブラ宮殿 二つの入り口」
 
 確か「王の間」だったと思うけど、この部屋は暗くて、天井一杯に星の絵が。

この模様はどう頑張っても真似できない完璧な絵らしいです。王様は床に寝転がって、夜空を見ていたのかな。

更にその部屋の窓は床のすぐ上にあって、それは王様が寝転がったまま窓を開け閉めしたかったからだとか。

贅沢な話です。

 
写真K「アルハンブラ宮殿 王の間 天井」
 
 カルロス5世宮殿は、どことなく見覚えが。

そう、ローマのコロッセオ(
コロッセウム)。

この円という形はマイクなしでも音が反響するので、今はコンサート会場になってました。
 
 写真L「アルハンブラ宮殿 カルロス5世宮殿」 

 
アルハンブラ宮殿の外にはヘネラリフェという庭園もあります。

まぁとにかく広い。そして細部まで凝っている。
ヴェルサイユ宮殿よりすごいかも。
 
 写真M「アルハンブラ宮殿 ヘネラリフェ庭園」 

 宮殿の周りには杉の木が多い。杉の木はその形から、天に通じていると信じられていたらしいです。

それで沢山植えられているらしいけど、その中の一つ、写真の木。

何かに似ていると思いませんか〜?

そうです。バルセロナのサグラダ・ファミリア聖堂!

あの形は天に通じるこの杉の木をモデルに建てられているんだって。(ガイドさん談)

 写真N「アルハンブラ宮殿 庭園の『天に通じる糸杉』」
 
 もう少し見ていたかったけど、ツアーバスはミハスへ移動。

ミハスは代表的な白い街です。

小さい街だけどレストランやお土産やさんが軒を連ねていて、観光客が沢山来るんだろうなぁという感じ。

ロバタクシーが名物らしく、ロバが沢山繋がれてました。ちょっと可哀想。

 写真O「スペインの白い街 ミハス」
 
 最終目的地マルベーリャへ到着。

ここは高級リゾート地です。とにかく外人ばっかり。英語ばっかり。お金持ちばっかり。

バスツアーの関係でどうしてもここに泊まらなくてはならなかったわけだけど、そうでなかったら来なかったかなぁ。

ホテルがと〜っても高いし、スペインの特色はあんまりないし。

お金が沢山溜まったら、1週間くらいノンビリしてみたいけどね。


 でもただ一つ嬉しかったのは海が見れた事。

日本に住んでた時はいつでも見に行けたけど、ドイツで海を見るのは不可能に近いから・・・。


 夢の様な高級リゾート滞在も終わり、ロンダ経由セビリアへ。
 
 ロンダは断崖絶壁の上に町があって、眺めは絶景だけど、結構怖かった。

 写真P「ロンダの街」 

 ここにはスペイン最古の闘牛場があって、中には闘牛博物館があり、

またオフシーズンは闘牛場の中に降り立つ事も出来てしまう。

せっかくなので入ってみました。

牛の角の跡が沢山ついた壁が見れたり、闘牛の迫力が味わえたよ。

 写真Q「闘牛場」
 
 バスツアーもこれで最後。セビリアに戻ってきました。

 最後の観光は大聖堂。

セビリアの大聖堂は、ヨーロッパの聖堂としては3番目の大きさ。

元はモスクなのに、聖書の彫り物があったり、キリストのステンドグラスがあったり。

考えてみれば不思議なんだけど、この大聖堂ではイスラム教建築とキリスト教建築が上手く調和していて、

何故か違和感がなかった。

 写真R「セビリアの大聖堂 外観」

 写真「セビリアの大聖堂 カテドラル(1)」

 写真「セビリアの大聖堂 カテドラル(2)」

 写真「セビリアの大聖堂 カテドラル(3)」

 カテドラルには大きなパイプオルガンや、黄金の祭壇、
コロンブスのお墓まであったよ。

コロンブス
の骨は、柩に施された小さな紋章の中に鍵穴があって、そこに隠されていたらしい。
 
 写真S「コロンブスの墓」

 聖書の彫刻は素晴らしかったけど、これは昔の人は字が読めなかったから絵で分かりやすく解説する為に

彫られたんだってね。

確かに漫画を見ているようで分かりやすかった。
 

 アンダルシアの向出先生(ガイドさんの事)に別れを告げて、ホテルにチェックイン。

 スペイン最後の夜はバルでタパスを食べまくり。

アンダルシアの人は本当に陽気で優しかったなぁ。
 

 旅してみて、アンダルシア地方は本当に歴史が色濃く残る地だなと実感したよ。

一見相反するイスラム教とキリスト教もどちらかが消えてしまうわけではなく融合していて。

イスラムの建築を敢えて破壊せず残したのはキリスト教の優位を示そうとした為でもあるかもしれないけど、

どこかしらあのイスラム文化の良さ、イスラム建築の美しさに魅了されてしまった部分もあるのではないかな?

と思ったよ。
 
 それから今の時代想像しにくいけど、ヨーロッパが弱小で、イスラム勢力が強大だった時代は本当にあったんだなと

良く分かった。

 ガイドさんも言ってたけど、日本も南蛮人(南の野蛮人?)って呼んでるもんね。昔はそういうイメージだったのかな。

当たり前だけど、色んな歴史があって今のスペインという国、スペイン人の性格が出来てるんだね。
 

 
☆ ガイドさんの話で一番面白かったフレーズ

 
「カーンみたいな顔をした人達が突然ドーっと攻めてきて、ローマ人はさぞかし怖かった事でしょうね〜。」

(→ローマ帝国の支配にあったイベリア半島に西ゴートら北方ゲルマン民族が侵入してきた時の説明)

確かにそれは怖い! ドイツ人の顔は怖い。