しのぶの「ドイツ便り」   
                                                vol.5 03.10.16 



こんにちは。お元気ですか〜?

私は今月ダンナが展示会でずっとイタリアに出張に行ってしまって、一人寂しい日々を過ごしてます・・・。

特に土日に一人だとする事なくて困ってしまうよ。お店も閉まってるし・・・。

日本だったら時間潰すとこは沢山あるし、遊んでくれる友達も沢山いるのにな〜。
 

ところで10月3日は
ドイツ東西統一(注:1990年。前年末のベルリンの壁崩壊からわずか1年!)記念

日で祝日でした。

で、ちょうど3連休だったので、友達夫婦と一泊オランダに行ってきたよ。

初日は「Six Flags」っていう絶叫系を集めた遊園地へ。いや〜、かなり怖かった。
 

2日目は
アムステルダム(注:17世紀前半、スペインから独立した当時からのオランダの首都)に行きました。

観光は大して期待してなかったんだけど、意外に都会で楽しかったです。

デパートも日本のロフトみたいな感じ。デパチカじゃないけど結構美味しそうなお菓子も売られてたり、活気もあった。

あとはオランダ生まれのミッフィーちゃんグッズも沢山あったので、姪にお土産と、自分にもついでに(?)買いこんできました。

お店の人も最初から英語で応対してくるし、観光には便利だね。

レストランも多国籍で、初日はギリシャ料理、2日目は中華を食べました。なかなか本格的で美味しかったよ。

中華街なんてのもあるし、オランダ料理っていうのが逆に分からないほど各国の店が並んでたよ。もちろん日本食屋も。
 

アムステルダムと言えば
アンネ(注:アンネ=フランク。1929〜45年。ユダヤ人少女でナチス=ドイツのユダヤ人

虐殺政策の象徴的な犠牲者)
の家。もちろん行ってきましたよ。

撮影禁止だったので写真は送れないけど・・・。

お昼頃行ったら長蛇の列でした。正面は近代的に改装されてて一見アンネの家とは思えない。

中に入ると各国の解説書が置いてあって、もちろん日本語もあったよ。

ドイツ人には過酷だろうな〜と思ったけど、意外にもドイツ語のパンフレットが一番減ってた。でもドイツ語話すのはドイ

ツ人だけじゃないか。


各部屋には展示物やビデオ上映なんかもされてて結構進むのに時間がかかったよ。

そしていよいよ本棚発見。これがまた普通〜に置いてある。触れたり出来るし。(本物じゃなかったのかな。)実際に手

を触れて切な〜くなってしまったよ。


本棚の後ろは隠れ家部分。私はてっきり一部屋だと思ってたんだけど、家一軒分あるんだね。

トイレも洗面台もそのまま残ってた。特に囲いはなし。屋根裏部屋も覗く事が出来たよ。

部屋はあまり光も入らず、本当にヒッソリと暮らしていたんだな〜って思った。一歩も外に出ないで生きていくなんて気

が狂いそうだっただろうに。


日記も展示されてた。ギッシリと書かれていたよ。狂いそうになる気持ちを日記を書く事で発散させてたんだろうなぁ。

ビデオ上映は悲惨なものでした。とても日本じゃ放送できないようなもの。

収容所の映像なのかガリガリのユダヤ人が大勢、炎天下のもとボーっと座っている。何もする事がなく、ただ座っている。

そうやって飢えやペストで亡くなっていったんだろうね・・・。周りにはそのまま死んでしまった人が放置されていたし。

またある映像は死体収容所というか、何万という死体がゴロゴロ次から次へと山済みにされているもの。とても人間だっ

たとは思えない扱い・・・。


あまりの多さに「本当に人間の死体なの??」という感じかな。いや〜、なんて表現してよいか分からない。

理由もなく、ただユダヤ人だというだけで殺されてしまった人々。どんなに無念だったことか。

そういう事がまかり通った時代があったというのも信じがたく、恐ろしいね。ナチスの力が強大で誰も止められなかったのか、

それとも皆同じ考えだったのか??


今なおネオナチと称する人々がドイツには結構いるみたいだけど、その人達は何を望んでいるんだろう。理解出来ない・・・

したくもないけど。

ドイツに住むものとして、アンネの家行っておいて良かったです。
 

と、いうわけで写真送ります。

なんだか他に観光名所っていうのがなかったので、とりあえず運河?(写真@)の写真と、ダム広場の王宮(写真A 

注:
オランダの政体の変遷は、1609〜1815年、共和政→1815〜、王政)などです。
 

では、また。

 写真No.@アムステルダムの運河  写真No.Aアムステルダムの王宮

 写真No.Bアムステルダムの町並み