しのぶの「ドイツ便り」   
                                                vol.4 03.7.31 




行ってきました!ローマ&フィレンツェ7泊8日の旅!!
 

まず感想としては・・・暑かった!!!

本当〜に暑かった。

ドイツは湿気が少ないので、久しぶりにあのムシムシした気候を体験してバテバテでした。

でも絶対日本よりも暑いと思う。しかも日照時間も長いし、日陰が殆どないっ!

だから感動的な遺跡を見ても、感動半分、疲労半分、じっくり鑑賞している余裕がありませんでした・・・。

イタリアを満喫するなら絶対夏はやめたほうが良いです。
 

私たちの日程はローマ3日、フィレンツェ3日、ローマ2日という感じでした。

初日は午後にローマ入りして、そのまま観光へ。

パンテオン
(注:万神殿と訳される ※写真No.@〜B)、トレビの泉、ナヴォーナ広場など周りました。

でも最初何故か道を間違えてヴェネツィア広場に出ちゃった・・・。

意外にローマって狭いんだな〜と実感。せっかくだから写真撮ったけど。

まぁ狭いと思えたのも初日だけ。その後はあまりの暑さに日に日に疲労が溜まりヨタヨタでした。
 

パンテオン
は完全な姿で残っていて、初めて見た時はビックリしました。

周りには普通にレストランが建ち並んでいて、自然に新旧が一体化してたし。

パンテオン
に限らず、街の至る所にローマ時代の名残が普通に現代の生活に溶け込んでて、とっても不思議な感じだったよ。

中に入ると薄暗く、その分天窓から入る光が映えてキレイでした。

小さく見えたけど直径9メートルもあるらしい・・・。
 

トレビの泉は大混雑でした。

暑かったしね。泉に足をつけてる人も結構いた。

目の前はまたすぐ商店街で、ギリギリまで下がっても写真に納まりきらなかったよ。

ここでイタリア初のジェラート食べました。

ちょっと張りきってMサイズなんて頼んだら、す〜っごい大きかった。

そして溶けるの早いこと。焦って食べて感動する間もなかった・・・。

でも美味しかったよ〜。
 

 写真No.@パンテオン入り口案内板  写真No.Aパンテオン正面

 写真No.Bパンテオン内部 

さてさて、翌日コロッセオ(注:コロッセウムともいう円形闘技場 ※写真No.C〜E)へ。


これまた壮大で感動的でした。

中に入ろうと思ったら、なんと長蛇の列・・・。

30分くらい待ってようやく入れたよ。

コロッセオ
の2階室内部分?廊下?では色々な展示品が置いてありました。

「壁画」と「壺」の写真はそこに展示されてたもの。

壺を見た瞬間「
エトルリア人(注:イタリア先住民のひとつで民族系統は不明。アーチ技術などの建築文化や衣服・官制などで

ローマに影響大)の壺・・・」って、すっごい記憶の奥底からそんな言葉が出てきたんだけど、合ってる?

良く見ると
コロッセオで戦ってる人の絵みたいだから違うのかな。

競技場内部、本当はド真ん中に降り立って周りを見渡せたらしいんだけど、この時は修復中でダメでした。残念。

あそこで戦ってた人はどんな気持ちだったんだろう。是非降りてみたかった。
 

コロッセオ
を出るとすぐコンスタンティヌス(注:313年にミラノ勅令でキリスト教を公認。325年にニケーア公会議でアタナシウス派

を正統、アリウス派を異端に。330年、ビザンティオンをコンスタンティノープルと改称して遷都)の凱旋門(※写真No.F)があったよ。

これはあまり人気がないらしい。みんな結構素通りでした。

少し行くとパラティーノの丘、
フォロ・ロマーノ(注:ローマの<代表的な>フォールム「広場」。その周囲に、神殿・政庁・市場など

があり、市民生活の中心 ※写真No.G)と続きます。

フォロ・ロマーノの写真、左にちょこ〜っと半分だけ映ってるのって
元老院(注:ローマの共和政における最高議決機関)?(映すの

下手でゴメンなさい。)

シーザーが殺された場所だよね。

この辺は神殿やバジリカ(注:バシリカともいうローマ時代に建てられた会堂やその建築様式)など見所満載なんだけど、結構広くて

坂や階段も多いしヘトヘトでした。

私は2時間くらいで退散したけど、先生だったら一日見てても飽きないんじゃないかな。
 

ローマ3日目は
バチカン市国(注:ローマ教皇を元首とする、ローマ市のティベル川右岸にある国。1929年のイタリア政府

<ムッソリーニ政権>とのラテラン条約で成立)へ行きました。

メインはやっぱりシスティーナ礼拝堂の
「最後の審判」(注:ルネサンス期の「天才」ミケランジェロの代表作)かな〜。

絵の中の人物が実際の人物より大きいんじゃないかと思うくらい巨大な絵でした。

天井の絵画も素晴らしかった。「楽園追放」や「アダムの創造」などなど。

でも撮影禁止でした。当然か。

ヴァティカンには独自の
ユーロ(注:1999年に導入されたヨーロッパ連合単一通貨)があるので買いたいなと思ったらユーロ全セットで

500ユーロもしたよ。

もちろん買いませんでした〜。

 写真No.Cコロッセウム外観  写真No.Dコロッセウム内部その1

 写真No.Eコロッセウム内部その2  写真No.Fコンスタンティヌス帝の凱旋門

 写真No.Gフォロ=ロマーノ

今度は
フィレンツェ(注:イタリア=ルネサンスの中心。文芸保護者はメディチ家)へ移動しました。


電車で2時間弱ってとこかな。

予測どおり発車は1時間近く遅れました。イタリアでは良くある事みたい。

だって電光掲示板に「発車時刻」と並んで、(なんて書いてあるのか読めなかったけど)「”実際の”発車時刻」の欄があったよ。

殆どの電車が遅れてた。
 

フィレンツェ
に着くと、これまた暑〜い!

ローマ以上に。まさに熱風って感じでした。

フィレンツェ
はローマに比べて狭くて見所も密集してるから、歩きやすかったよ。

といってもバテバテだったけどね。

ドゥオモはやっぱり素晴らしかった。これが冬だったらもっと感動出来ただろうに・・・。

もう少し眺めていたかったけど、炎天下でそう長くは立っていられませんでした。

それでもクーポラにはやっぱり上ったよ。

グルグルの螺旋階段を464段(だったかな?)、黙々と上って。

時々目が回って階段を踏み外しそうになる恐怖と戦いつつ・・・。

途中教会内部に出たりして、天井のフレスコ画を眺める事が出来ました。

そしてようやく頂上へ。
フィレンツェの町並みが一望出来て、これまた感動的。

でもその感動も束の間。日陰は殆どないし、太陽には近いし、ここでも長居は不可能でした。生命の危機・・・。

暫く座って眺めていたかったなぁ。
 

翌日
ピサ(注:中世ヨーロッパで11世紀頃の「商業ルネサンス」の北イタリア商業都市。ロマネスク様式の教会建築

ピサ大聖堂も ※写真No.H)にも行きました。

斜塔(注:ルネサンス期から近世ヨーロッパ文化期の大科学者ガリレイの実験で有名)本当に倒れそうだった。

ワイヤーで引っ張られてたよ。

斜塔にも上れるみたいだったけど、落ちたら嫌なのでやめました。

ピサ
から戻ってアカデミア美術館へ。ここにはダビデ像があるから。

実際見ると、とても大きかった。6メートルとか?後ろ側にも周ってオシリもしっかり見てきました。
 

フィレンツェ
最終日はウフィッツィ美術館へ。

ここも撮影禁止でした。

やっぱり実際に
「ヴィーナスの誕生」(注:イタリア=ルネサンス前期の代表的画家ボッティチェリの作品)を見たときは

心臓がドキっとしました。

同じ部屋に「春」も展示されてたよ。

帰り際絵の解説書を買ってしまいました。順序が逆・・・。

 写真No.Hピサ大聖堂と斜塔


またまたローマに戻ってきました。


最初の3日でホボ見尽くしたので、特にする事もなくスペイン階段辺りをプラプラ。

その日泊まったホテルはブレーカーは落ちるし、エアコンは水漏れするし、サイアクでした。

それもこれも翌日土曜日しか開館してない、コロンナ美術館に行く為とガマンしたんだけど。

翌日行ってみると、改装中で9月まで閉まってた〜。

「ローマの休日」のラストシーンの場で旅を締めくくるはずだったのに・・・。
 

仕方がない?ので、ヴィットリアーノへ。

ちょうど約30年ぶりに公開が再開されたので、内部に入ってみる事にしました。

階段は大理石で豪華。ちょっと偉い人になった気分でした。
 

予定は変わってしまったけど、楽しい旅でした。

ドイツに戻ってきたら、すごく寒かった。

そしてドイツって安全だな〜って思った。

イタリアはスリも沢山いたし、怪しい人も話しかけてきたし、常に気を引き締めていなくちゃいけなかった。

考えてみるとドイツは貧しい人に優しい。働いてなくても国からお金がもらえるみたいだし、学校もタダで行けるし。

その点イタリアは職のない人、貧しくて途方にくれてる人が多い。だから治安も悪くなるんだろうね。
 

長々〜とメール書いてスミマセン。

読むの疲れたでしょ?

しばらく旅行はしない(出来ない)ので、今度はもっと短いメール送ります。