「バス停の花あぜ道」


 「花あぜ道」というあだ名をつけた西島(にしじま)のバス停を、運転手の竹井さんは大好きでした。


 それは、乗り合いバスの走る海辺の町のひとつにありました。とてもたくさんの旅館が並ぶ、観光

の町の片隅。そのあたりではもう少なくなった田んぼの前に、小さな赤い屋根をかぶってありました。

田んぼのあぜ道には、たくさんの小さな草花が丹精されていて、冬の一時期を除いた春夏秋冬のそ

れぞれの季節ごとに、様々な色の点模様や線模様の帯がひろがっていたのです。


 竹井さんは、五月の花あぜ道が特別に好きでした。新しい緑の田んぼに、白やピンクや紫の桜草

たちが、一年で一番華やかな錦を織りあげた花あぜ道。そして、木造のバス停の屋根の赤い帽子が

それらに加わって、踊るようなコントラストの波を寄せていたからです。


 「どんな人が手入れしているんかなぁ」と、いつも不思議に思っていることを考えながら、火の見櫓の

ある公民館の前のカーブを左に曲がった五月のある日のこと。おじいさんとおばあさんが、花あぜ道

に水をあげているではありませんか。お客さんが誰もいないのに、竹井さんはバスを停めました。「こ

んにちは」と軽く頭を下げて挨拶した竹井さん。そして、言葉にはしませんでしたが、心の中で「いつも、

ありがとうございます」と呟きながらバスを発車させた竹井さんは、サイドミラーの中で、水まきの手を

休めてバスを見送るふたりの様子がどことなく淋しそうなのを心に留めました。


 それから半年後、西島のバス停には、田んぼも花あぜ道もありませんでした。ただ、赤茶けた土が

積もっているだだっぴろい土地に、派手な色のブルドーザーやショベルカーが地面に傾いてそこに居

座っていたのです。


 今、そこはキレイな旅館になっています。あの田んぼは、おじいさんおばあさんのものではなかった

そうです。持ち主がその土地を売ることを決めた時、おじいさんおばあさんは涙を流して頼んだという

ことです。その時の「どうか、やめてください」というふたりの声が、竹井さんには聞こえるような気がし

ます。